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『ウィッシュ』のヴィランは「ダメおやじ」!?歌から読み解く父性の罠!

ウィッシュ
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ディズニー100周年として放映された
『ウィッシュ』

(出典元:ディズニー公式)

先日映画館で楽しく観てきました。
この映画のヴィランとして登場したのは
ロサス王国の王様、マグニフィコ王!!

枢やなさんによる描き下ろしイラスト(出典元:ディズニー公式)

確かに彼は主人公と対立し、
悪の魔法に魅入られてしまうヴィラン。
ですが、彼は何処か憎めない人物です

今回は、このマグニフィコ王について考察します。
何を象徴しているのか、という点や
歌詞に含まれている彼の気持ちなどを踏まえていきます。
是非、最後までご覧ください!!

 

なお、一部映画のネタバレを含むため
まずはネタバレなしで観たい、という方は
ブラウザバックをしてください。

 

マグニフィコ王は何を象徴する人物?

さて、まずマグニフィコ王が物語の中で
何を象徴するのか、をズバリいきましょう。

マグニフィコ王は
「父性」を象徴する人物だと言えます。
彼はいろんな場面で、お父さんなんですね。

ロサス王国を建国したのは彼。
ロサス王国の父親でもあり、
そして国民を心から愛する父親です

事実、彼は物語序盤で立派な王として描かれ
国民達からも慕われています。
良いお父さんなんですね。

「輝く願い」に表現される父の気持ち

マグニフィコ王が持つ良い父としての面は
劇中歌「輝く願い」にも表現されています。

この「輝く願い」の英語版のタイトルは
「At all costs」。
意訳すれば「どんな苦労をしたとしても」

英語版の歌詞の中には
「I will protect you」「in my arm」など
自分の手で絶対に守ってみせる、というものがあります。

マグニフィコ王は国民やアーシャを
我が子のように大切に想っていました。
自分が守れる範囲内に置いておこうとしたのです。

ただ、これが話がこじれる原因になります。

 

マグニフィコ王が取れなかったリスク

マグニフィコ王は王国を維持する方法として
「願いを選別する」という方法を取りました。
小さい夢なら彼は叶えていきます。

逆に、他人を巻き込むような大きな夢
いくら待ったとしても叶えることはありません
例えそれが善良な願いだとしても、です。

 

つまり、マグニフィコ王は
願いが持つリスクを過大評価してしまったのです。

リスクが非常に小さい願いならば叶えたでしょうが、
沢山の人に歌を聞いて欲しい、というような願いも
「徒党を組むかも」と言って叶えませんでした。

ダメおやじが「趣味に口を出す」!?

要は、マグニフィコは安全のためとはいえ
『自分が良しとした願い以外はダメ』
と言っている訳です。

この状況を分かりやすく、極端に言えば。
『年頃の娘や息子が興味を持った趣味に
父親が「そんな趣味はいかん」と口を出してくる』

という事になるでしょう。

家の中で収まる程度の願いならば自由にさせる。
けど、家の方針に逆らったり
外に飛び出すような願いは何としても止める。

こう解釈すると、マグニフィコ王は
子どもを過剰に心配する親バカのダメおやじという
なんとも人間臭い一面を持っているのです。

 

お父さんの不満が爆発

そして物語中盤、マグニフィコ王の不満が
とうとう爆発してしまいます。

国民達に叶える願いの基準や
そもそも儀式を行うのが正当なのかなど、
疑問を投げかけられてしまったのです

これに上手くこたえきれず、
マグニフィコ王はとうとう禁断の言葉
出してしまいます。

「うるさい!」と国民の言葉を遮り
立ち去った後に歌い始めるのが
「無礼者たちへ」です。

「ここまで育ててやったのに」と嘆き怒る父

この「無礼者たちへ」の英語タイトルは
「This is the thanks I get?!」
つまり「こんなものが俺への感謝か⁉」

攻撃的なタイトルですが、
「父から子どもへ」という視点で歌詞を見ると
「子供と喧嘩して憤ってるお父さん」の歌になります。

生まれた時からずっと頑張って育てて。
家事も仕事も何から何まで世話してきたのに。
ここまでやったのに反抗されるのか。

そんなお父さんの憤りが
「ひどい仕打ちだ」「恩知らずめ」
という言葉に現れています。

そしてダメおやじはDVを始める

そして物語終盤でマグニフィコ王は
禁書を開き、悪の魔法に魅入られてしまいます。

そして守ってきたはずの国民の願いを
自らの糧にして力にしてしまう。
ここまでくると完全にDVをする父親です。

 

そう、彼は当初いい父親だったのにも関わらず
DVをする父親になってしまったのです

秩序を重んじる父親が持たなかったのは
「寛容さ」だったのかもしれません。

 

マグニフィコ王は安全を願う「父性」

ここまで書いてきたように、
「父と子ども」という視点から読み解くと
マグニフィコ王が「父性」を象徴すると
お分かりいただけたと思います。

「願い」を押し殺す可能性があるものが
安全を願うが故の「父性」というのは
非常に悲しい一面ですね。

そうだとしても、夢や願いが
外に向かい羽ばたこうとするのは止められない
願いの前では父親は置いてけぼりになるしかない。

こんな一面があるからこそ、
マグニフィコ王は単なる嫌われ者では無く
どこか悲しいヴィランになったのかもしれません。

 

まとめ

如何だったでしょうか?
今回は映画「ウィッシュ」のヴィラン
マグニフィコ王について解説してきました。

・マグニフィコ王は父性の象徴
・子どもへの不満を爆発させてしまう
・安全を保つために願いを押し殺しうる

ということが分かりましたね。

 

ある意味、この『ウィッシュ』は
ディズニーがなかなか扱ってこなかった
「近くに居る父親」について扱った作品です。

威厳があるのに優しく、愛情いっぱい。
でも煩わしくて、怒ると手が付けられない。
人の知らないところではおバカでお調子者。

 

もう少し、マグニフィコが子どもたちの前でも
「マグニフィセント」でなかったなら。
「崇高」でも「雄大」でもない、
等身大の人としてあれたのなら

そんな事を考えさせられたヴィラン。
個人的には彼が最も気に入ったキャラでした。
世のお父さん、どうか頑張って…!!

この視点でもう一度映画を見てみると
また違った感想が浮かぶかもしれませんよ!
是非、映画館などでも観てみてくださいね!!

 

 

ディズニーがお好きな方は、
アニメだけでなくこんなグッズを手に取ってみるのは
いかがでしょうか?

 

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